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何故、日本は太平洋戦争を起こした?米国陰謀説みたいのもありますが… 通説に沿って簡略的に説明すれば、 西暦1930年代末期
これが、一般に言われる戦争に突入していった流れであります。 ここで、言いたいのが、ほぼ、当時の日本の首脳全員、東條も含めて、米国に勝てるなんて思っていなかったという事実があります。 それなのに何故?日本は戦争を選択したのでしょう… 自らの過ちを認められない組織…「海軍が戦争できないというんじゃしょうがないなぁ…」みたいなことを 言ったことがあるそうです。(相手のせいにして戦争を回避できれば…ということです。) つまりは、戦争はしたくないけど、「自分から、戦争はできないと言いたくない。言えない。」 という判断が、陸軍、海軍内にはびこっていたようです。 陸軍にしてみれば… 既に、日中戦争に莫大な戦費をつぎ込み、多数の戦死者を出しているという 事実があり、自ら撤兵するなんて言えない状況にあった。 対して、海軍は、 軍艦建造等に、多額の予算を費やしており、弱気なことを言えば、 なんのために、そんな予算を…と言われかねないので、 自らの体裁を守ることに注力した。 なので、企画院が出した統計資料(戦争しても負けるのが自明)も隠すというようなこともします。 まあ、中には、最後の海軍大将である井上成美のような人もいるのですが… この方、 「何故、米国との戦争は無理です。といわなかったのか?」と当時の及川大臣に詰め寄ったという話もあります。 また、この井上の上司筋である当時、連合艦隊司令長官である山本五十六も、 この当時の戦争を容認する海軍首脳陣に苦言をしまくっていたようです。 さりながら、全体の世論や情勢の流れで… 戦争に突入します。 厳しい言い方をすれば、上層部の見得や保身のために 戦争が選択されたともいえるのです。 今から見て思うことが、そのあとの莫大な損害を考えれば… 譲歩すべきではなかったかと…強く思うのです… まあ、結果論ですけど… ただ、今の世界に当てはまることでもあるような気がしています… ガバナンスの大切さ…社内統制…という言葉で聞かれる言葉です…ガバナンスとは、組織があるべき方向に自助的に進めるために 社内の仕組みを整えたり、従業員、経営者の啓発を図り 秩序ある組織運営を成すべきものと僕は思っています。 昭和軍人の世界は、点数をつけると、当然及第点には達しないくらいのレベルです。 マイナス100点と言ってもいいのでは…と思うくらいです。 だって、現場の命令違反は、日常茶飯事、後付けで合法にしてしまう。 (ある意味、勝てば、官軍!の日本なので…あります。) 例えば、天皇の裁可なしで、満州事変時、朝鮮軍を越境させた林銑十郎閣下は 本来、軍法会議で死刑でも文句の言えない立場なのに、 それが、越境将軍ともてはやされ、そののち、首相にもなります。 こんな事例があちこちにあるわけです。 そんな背景がありますから、陸軍、海軍においては、大言を吐く人間が幅を利かせていて、 中堅幕僚が軍の実験を握っていたとか… 大将とかに出世する御仁は、 いい言い方をすれば、下の意見をよく聞く… 悪い言い方をすれば、 下の言いなりになるロボット君が、出世していったそうで… 特に、陸軍は、その傾向が強く…典型的なのが 杉山陸軍大将元帥閣下… 別名…便所の扉 何故、便所の扉かと言えば、威勢のいいことをいう人間の方の意見にすぐ左右されるから… ということです。 要するに、部下をしっかりと統制することができない人物が、 軍の中枢にあがり、その陰で責任のない中堅幕僚が、 威勢のいいことを言って政策を左右する… という状況であったのです。 この中堅クラスだって、国にとって、正しいと思うことをしたとも思えない状況があります。 要は、威勢のいいことをいう人間が出世するわけです。 そういう環境にあったら、現実と違っても威勢のいいことを言う輩は増えるでしょう… そして、そんな人間たちが、政策を左右するのです。 さらに、軍は政府に対し、 現役大臣武官制で脅しをかけたり、 統帥権干犯を持ち出して、 実質、軍のいいなり状態に追い込んでいたわけで… これでは… お察しでしょう… 故に、僕が採点すれば マイナス100点なのです。 |
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何故、終戦は遅れたのか?41年12月8日から約半年は、日本の快進撃でした。 至るところ連戦連勝、東南アジア、フィリピンを抑え、 広大な領域を支配するに至ります。 この時期、山本連合艦隊司令長官は、早期講和を進めるよう進言していたようですが・・・ 連戦に浮かれる日本は、そんな山本の言葉を黙殺です。 ターニングポイントは、 42年6月のミッドウェイ海戦であったようです。 それまで、海軍を支えていた主力空母を失い… 日本の勢いは消え・・・ 後退につぐ後退をし続けます。 もうやめるべきと考えるタイミングは多くあったと思います。 43年イタリア降伏 44年6月にはノルマンディ作戦 44年7月サイパン陥落(日本の空襲が容易になる) 和平の声が0だったとは思いません… しかし、当時の日本、和平の声を表だってあげることはできない状況にありました。 少なくとも、東條大将が首相を降りた44年7月時点で、 天皇をはじめとする首脳陣の和平への気持ちはあったはずです。 そして45年4月に鈴木貫太郎内閣成立時も、 首相就任演説は「私の屍を越えて…」ですよ… 戦争を続ける気、満々の演説なわけです… 鈴木内閣は、今にして思えば、完全に、終戦に向けた人事です。 それでも、当時、終戦に向けた動きを部下に命じていた米内海軍大臣でさえ、 「和平」の言葉を口にできない…状況であったと思われます。 米内大臣が首脳会議を終えて、部下に曰く「皆が、何を考えているか?わからない…」ということで、 和平を口にするのを躊躇している様子だったのこと… とは言え、日本の負けは確定してるから…みたいなことを言っていたようなので、 他の首脳は、米内閣下が和平派なのは一目瞭然状態だったと思いますが… 終戦が必要と思いつつも、皆、相手の出方をうかがうという情勢だったようです。 今から思うと…トロトロと…と思わなくもないですが、下手なことを言ってはすべてが 無に帰する可能性があったのです。 大事な時期です。暗殺などされるわけにはいかんのです。 ようやく6月になって、天皇側近の木戸内大臣が、試案を出すことで、 ようやく和平に対する話し合いが首脳の間で行われるようになります。 しかし、豊田軍令部総長、梅津参謀総長、阿南陸軍大臣は、和平派の反対に回るというか 戦争継続を主張します。 ただ、このお三方の本音は、終戦であったと思われます。 まず、梅津参謀総長は、天皇の信任厚いかたで、昭和天皇が39年7月に板垣陸軍大臣の後任に 「畑か梅津を起用すべし…」と注文をつけたぐらいの方です。 阿南陸軍大臣にしても、過去、宮中武官を務めたことがあり、その際、侍従長をしていた鈴木貫太郎と の信頼関係が構築されていて、それが故に、鈴木首相が、陸軍大臣に指名したのでしょうから… けど、このお三方は厳しい立場です。 終戦に向けた弱腰な態度をすれば… 下からやり玉に挙げられます。 場合によっては、クーデターだってあるわけで… 本音を殺して、威勢のいい意見に賛同する姿勢を見せつつ、 大事なところは抑える…ということをしていたはずです。 そして、運命の1945年8月10日 御前会議このシーンは有名するぎるかと…戦争終結を主張する 平沼枢密院議長、東郷外務大臣、米内海軍大臣 反対する 梅津参謀総長、豊田軍令部総長、阿南陸軍大臣 この3対3の中、鈴木首相は自分の票をいれることなく、天皇に裁可を求めるのです。 一応、絶対権力者の立場である昭和天皇なのですが、 当時、昭和天皇にも課せられたルールがあって、 公の場では自分の意見は言わない。 臣下の提案を認可するのみ。 となっていたそうですが…このルールを破ります。 本当に、あとから聞いても、絶妙のタイミングです。 昭和天皇にしても、クーデターの懸念はもっていたはずです… 軍の意思に露骨に歯向かうと、絶対権力の天皇といえど、地位は保証されず、 場合によっては、軍は天皇の座を挿げ替える可能性が…と… 実際、226の時は、宮中の占拠もしようとしたのですから… ここに集う皆が、本音を隠して、事を成したといえると思うのです… 本当に破滅の手前で止まることができたと…思います。 ただ、現在の価値観で考えると… それでも不満はあります。 判断が遅れることで、死ななくていい命が何十万にといたはずで・・・ 価値観が違うのでしょうがないと言えば、しょうがないのですが… かつ過激軍人の暴走が懸念される中、あれ以上のタイミングがあったか?と言われると 返事に窮するのですけど… ただ、当時は、現在より、人の命の価値は低くかったです… その背景が故に…という側面もあるので、なんとも言い難いです。 なお、もしかして、人の命が安かったという発言に反論する方もいるかもしれませんが… 特攻作戦が認められる時点で… 人の命をどう見積もっていたか?が見えると思います。 玉砕なんて言葉を多用することも…現代の感覚であれば、非道の極みです。 要は指導者が…為政者が… 民の命を軽く考えるからできる作戦、政策であって そうでなければ、非道な作戦など指示できるはずがないのです。 海軍では、特攻の父と言われた大西中将は、腹を切って自死、 宇垣中将も、後から行くと約束した通り、飛行機に乗って海に飛び込んで自死、 陸軍では阿南大臣が自死… 他にも、責任を感じて自死した人は多数いたようです。 僕は、自死を賞賛するものではありません… ただ、これらの方々は、無理な作戦を部下に強いた自覚と罪の意識があったと思うのです。 本当に頭にくるのは、そういう民や部下のことを一切考慮することなく 作戦指導した将軍たちに憤りを感じます。 山本五十六の親友に堀悌吉という方がいます。 (山本と同期であり、その期のクラスヘッドだったそうです。 海軍の主流にいてロンドン軍縮などに尽力したが、大隅人事で、中将で退役になる。) この方、現代の考え方に近いというか、他人を慮ることができるかたで、軍人でありながら、 「戦争そのものは明らかに悪であり、凶であり、醜であり災である。」 と主張される方です。 このような考えは、いけいけドンドンの組織にあっては異端視されるものの、 けど人徳があり立派な方であったということです。 このような方がリーダーとしていれば、未来は違ったのかなぁと思います。 僕は思います。
まとめになるか否かですが… 組織運営についてだけ言及します。 組織を正しい方向へと導くには…現代にも共通することがあると思います。
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