No.6 故安倍元首相を偲んで・・・ 理想のリーダーシップとは?

 


 僕の敬愛する安倍晋三元首相

 


















まず、最初に言っておくべきことが・・・
今回のテーマは、かなり独断が入っています。
一般的な見解とずれるところがあるかもしれませんが・・・
そういうものだと、ご認識の上、読んでやってください。
目上の方を、僕ごときが評価するようなことをするのも・・・とも思いますが、そこも大目にみてやって頂けると・・・

安倍晋三元首相、いわずと知れた一番長く、首相を務めた先生です。
ただ、歴代首相と比べて、正直、これと言って、秀でている能力はお見受けできないような気がします。
では、何故、長く務められたのでしょう?
強面の官房長官が支えてたから?
他に、有力な人間がいなかったから?
運がよかった?
理由は、一つではないと思います。

ただ、確実にいえるのは、人に好かれる能力があるということです。
僕自身も敬愛しています。一般人のぼくがいうのは失礼かもしれませんが、歴代首相の中で、 ぴか一に親近感の湧く首相でした。
政治家という商売は、人を結集してなんぼ?
昔は、それを札束で買っていたが、今は、そうではないようなので・・・
(多少は、残っているかもしれないですが・・・)
そうすると、人としての魅力が重要で、安倍先生は、その才能に長けていたのでは? と思うのです。

人が寄ってくる理由は、色々ありますが、
・頼りがいがある。(親分肌)
・この人についていけばおいしい思いができる
・わかりやすい人。(反対は気難しい人)
・付き合いやすい。

等があげられますが、安倍先生の場合は、「付き合いやすい」の要素が強かったのではないか?と

つまり、やさしい人で、 仕える側としては、安心して、仕えられるということです。

言葉も、わかりやすいというか国民目線の話し方であったと思います。
それゆえ、国民の人気も高かったのではないか・・・と。
(ずっこい人だと、後で責任とらされないために、わざとぼかしますからね・・・安倍先生はそういう人ではないので・・・)

賢いリーダーに越したことはないですが、 賢いがゆえに、部下がリーダーの考えを理解できないと、部下は何が正解なのかが、わからず、疑心暗鬼に陥りやすいです。
そうすると、組織のパフォーマンスは低下します。
その点、優しく、かつ、わかりやすい人は、仕える側としては、 右に進むことが喜ばれるのか、左に進むのが喜ばれるのかが、明確なので、 力いっぱい働けるというわけです。余計な神経戦に力を削がれることがないですしね・・・

実際に、傍にいたわけでは、ありませんから、TV等から垣間見る人物像となりますが、 安倍先生は、本当に、優しい人だと思うのです。
奥さんの失態についても、結局、庇っているし・・・
仲間を大切にしてくれる人だと思います。
まっ、お友達内閣なんて揶揄されるという側面もあるんですけど・・・
嫌いな人間には寛容になれないようでしたけど・・・
(逆に完璧でないからこそ、付き合いやすいというところがあるのだろうなぁと思います。)

あと、2度目の首相の時、再チャレンジ という言葉をスローガンに掲げていましたが、 自らも失敗して、人の痛みを知る人でもあったような気もします。
だから、優しくなれる・・・

潰瘍性大腸炎だけでもだいぶ、苦労したと思いますし・・・
本当につらいんです。この病気、いい時と悪い時を繰り返すのですが、
ひどい時は、下痢と下血で、下腹は絶えず痛いし、吐き気もするし、ふらふらするし、
常に便意をもよおすから、トイレがないところを移動するのが怖いです。
実際、・・・・・書けません。お察しを・・・)
多分、同じ病気の人には、共感頂けるかと・・・

話は戻って、じゃあ、部下にとって仕えやすいリーダーが理想なのか?
多分、リーダーの要素として一番大事なのは、メンバーから好かれること、求心力があることだと思いますが、
それだけでは足りないと思います。
逆に、致命傷を追うことだって・・・
 



 ダメなリーダーシップとは・・・

近衛文麿元首相はご存じでしょうか?
戦前の首相と、太平洋戦争の開戦を事実上、既定路線化した人です。
じゃ、近衛は、戦争を望んでいたか?
答えは否です。
凡庸で先の見えない人だったか?
これも否です。米国の戦争の愚を知っていましたから・・・

さらに言うなら、当時、貴族筆頭の家柄で、国民人気も高く、軍部の支持もあった人で、よく人の話を聞いてくれる人だったそうです。
エピソードとして、自分に反対意見を言いに来た人間を自分のうちに泊めて話を聞いたりと 安倍先生と同じく、仕える側としては、本当にいい人であったと思われます。

ただ、典型的八方美人型ということのようでして、
1937年の中国でおきた事変も、不拡大と思っていたはずなのに、陸軍の暴走を許し、
1940年に首相に返り咲いた時には、米国との関係悪化を懸念していたにも関わらず、
ドイツとの軍事同盟は締結しちゃうわ、北仏印に軍を進めるは、米国を逆なでする政策を取り続け、
天皇には、米国との開戦を避ける自信はあるといいながら、陸軍を抑えきれず、 戦争がほぼ、さけられない状況になった上で、東条英機に首相を明け渡すという流れになります。
それに、昭和天皇は、こうも評していたようです。
「近衛は弱い。」要するに大事な時に覚悟が決められない。

要するに、ダメなリーダーシップとは、
明確なビジョンをもたない・・・
信念をもたない(信念がゆらぐ)
覚悟を持たない
ということかと思います。
(他人に厳しく、自分の都合しか考えられないリーダーは、そもそも論外です。)
もし、近衛が覚悟をもって事にあたっていたなら、歴史は違った可能性が・・・とよく言われています。
実際、軍首脳で、米国に勝てるなんて思っていた人は少なかったようです。
ただ、世論も好戦ムードで、かつ、軍首脳はこれまで威勢のいいことを言ってきた手前、非戦を自ら言い出しにくく、 そうこうしているうちに、もどれない道に入り込んだようです。

リーダーが組織に明確なビジョンを示さねば、組織が、右に左に勝手に動いてしまいます。
そして、時には、一人になっても正しい道を貫く覚悟が必要だと思うのです。
理想のリーダーとは、組織に対し、 明確なビジョン、明確な目的、明確な行動指針 というものを示し、そしてやりぬくという姿勢を示すことこそが 求められる要素と思います。

 


 理想のリーダーシップとは?。

じゃあ、理想のリーダー像とは?
思いやりがあって、部下から慕われ、下に、自分の考えを明確にしめす。
それだけじゃなく、信念をもって、組織を正しいほうに導く という人です。

僕が思うこれに当てはまる人物は、米内光政という人物です。
戦前の海軍大将で、海軍大臣、総理を務めた人です。
安倍先生も奥様とのエピソードなんかを聞くと、本当に優しくていい人で、だからこそ人から慕われるのだと思うのですが、 僕的には、激動の戦前のリーダーである米内閣下のほうが優れたリーダーだと思うのです。

この方、知る人ぞ知る!といった存在の人ですが、終戦工作に多いに貢献した人です。
決して頭のいいほうではありません。
そして品行方正といえる人でもない。
普段は鷹揚な性格、けど、いざという時には、覚悟をもって仕事をする人間であったので、 周りからの信頼が厚く、徹底抗戦が叫ばれる中で、海軍を抑え込み、終戦まで持っていきました。

山本五十六を知らない人はいないと思いますが、 この山本五十六が、唯一といっていいほど、上司として心酔していたのがこの米内閣下です。
米内は1940年首相を辞めてからは、退役軍人になり表舞台からさっていたのですが、 山本は、海軍首脳部に、米内を戻して難局にあたるべし・・・と進言しまくっていたほどです。

他にも、保科善四郎とか井上成美とか優秀なんだけど、ひとくせもふたくせも・・・という人物たちから 慕われるような人でした。
そして、部下はこう思うのだそうです。確か秘書をしていた実松譲さんの本に書いてあったと記憶しておるのですが、 「米内さんは、部下をよく見ているし、部下を信頼して仕事を任せてくれる。一度任せたら、あれこれいわない。そして何かあったときは助けてくれる。 だから部下は、それぞれが、自分が一番信頼されていると思わされるので、この人のためなら・・・と思ってしまう。」
この言葉にリーダーとしてもっとも重要な要素が現れている気がします。まさに理想の上司です。

終戦工作は、命をかけた戦いです。
終戦に対し、軍は徹底抗戦を望む連中の集まりでしたから、 下からの突き上げが怖い陸軍は、最後の最後、天皇の裁断が下るまで、 徹底抗戦の姿勢でした。

天皇の裁断を仰ぐ際の、御前会議でポツダム宣言を受託するか否かで、意見がきれいに割れるのですが・・・
受託に反対 梅津参謀総長、阿南陸軍大臣、豊田軍令総長
無条件受託 平沼枢密院議長、東郷外務大臣、米内海軍大臣
上記のような形になっていて、軍首脳で、ポツダム宣言受託に手をあげたのは、 米内閣下のみです。

ここからも、信念で動ける人だというのが見えるかと・・・
実際、阿南大臣との口論はすごかったようで、阿南大臣がまだ勝てる・・・の類のことを言うと 「既に、負けている・・・」等、の言い返しをしていたようです。
あっけらかんとした気質で、へんにカッコをつけないところも尊敬できるところです。
かつ、しっかり下を抑えることができて、陸軍は宮城事件とかおきていますが、 海軍はしっかり押さえたということです。

ただ、戦争継続を主張した梅津参謀総長や、阿南陸軍大臣が、覚悟をもっていないということはなくて・・・
できるだけ、陸軍を暴発させないために、ポーズを取っていたとみるのが正しくて、 陸軍大臣は、責任をとって自決するし、参謀総長は、クーデータを断固阻止しようと頑張ってましたので・・・ みんな命を張っていたと思います。(その中でも、米内閣下は素晴らしかったと思うのですが・・・)

米内閣下には、こんなエピソードもあります。
戦犯で裁判にかけられた畑陸軍大将の証人尋問で徹底的に、畑をかばい、 裁判長からバカとののしられても、かばいぬいたそうです。
この畑大将は、ドイツとの連携に反対していた米内内閣を倒閣に導いた当事者であり、このことが 裁判で糾弾されていたのですが、米内閣下は「そんな事実はない。覚えてない。」など とぼけぬいたそうで、畑大将は、死刑を免れました。
米内閣下は、倒閣は畑の意思でなく、軍からいわれてしょうがなくやったのだから・・・ と相手を思いやっていたそうです。

相手を思いやる気持ちは、相手を理解することは、本当に大切と思います。
米内閣下は、戦後、3年くらいでなくなってしまいます。 死後、郷里の盛岡に銅像が建てられるのですが、その除幕式の前に、 人知れず、畑大将は、やってきて、もくもくと草刈りをしていたそうです・・・

本当にいい話です。

ここまで僕にとっての理想のリーダー像というものを書き連ねましたが、 人それぞれ考えも違うし、相性があるので、これがすべてだとは思っていません。
ただ、部下を思いやる。
そして、それを理解してもらう。
ということは、少なからずもリーダーとして大事なことと思います。

以前勤めた建設系の社長は、朝の「おはよう」の挨拶こそ大切といってました。
目上の自分から、愛想よく挨拶すると、結構、部下からの信頼は勝ち取れるということです。
それ以外にも、部下から話しやすい雰囲気を作ることも 組織の課題抽出に役立ちますので・・・

まずは、朝の
「おはようございます」から始めては?と思うのです。